令和4年には御鎮座1250年を迎える由緒ある若一神社(にゃくいちじんじゃ)は、樹齢800年を超えるとされる大きな楠が目印。平清盛のお手植えとされる楠のご神木は、清盛の霊力が残り、目の前の西大路通りをカーブさせたほど。
境内外にあるご神木の楠には、清盛の出世をサポートした座敷わらしがいることでも有名で、運が良ければ一緒に写真が撮れるかもしれない。清盛公にあやかって出世のご利益をいただける神社です。
目次
若一神社のご利益
- 開運出世
- 平清盛が熊野詣の際、「土中に隠れている御神体を世に出しお祀りせよ」とのお告げがあり、帰宅後に西八条殿内を探したところ若一王子のご神体が現れ、お社を建てお祀りし開運出世を祈った。その翌年平清盛は、武士としては初めての太政大臣(現在の総理大臣にあたる)になったことから開運出世のご利益があるとされています。
若一神社のお守り
開運出世守り
若一神社といえば、平清盛の出世にちなんだ開運出世守り。
若一神社のおみくじ
水みくじ
開運出世の水みくじを購入し「水みくじ鉢」に浮かべると文字が浮かび上がってきます。
その他にも開運みくじ(100円)や干支みくじ(500円)もあります。
若一神社の御朱印
非常に豪快で力強い御朱印をいただきました。
【場所】授与所
【受付時間】不明
若一神社の見どころ
平清盛の石像
若一神社の辺りは、元々平清盛の別邸である西八条殿があった場所です。
境内には、衣冠束帯(いかんそくたい)姿の平清盛の石像があります。
境内にある楠のご神木
若一神社のご神木は2本あるようで、一つは境内、一つは神社の入り口西大路通沿いにあります。
そしてこの木の上の部分がすごく力強いんです!!
かなりご立派なご神木です。
平清盛が植えた楠のご神木
こちらは神社の入り口にあるご神木の楠で、平清盛が太政大臣に任命された時に自ら植えたとか。
そして、ご神木の周りには座敷わらしが住んでいるともいわれていて、一緒に写真を撮れるかもしれないスポットです。
また、神社前の楠のご神木は切ると災いが降りかかるという言い伝えがあり、若一神社前の西大路通を工事する時も、楠を避けるように造られたほどです。
開運出世のご神水
境内にある平清盛ゆかりのご神水は、清盛が熱病のときに体を冷やしたと伝わります。
このご神水は自由に持ち帰れる銘水で、飲むと運が開けるなど奇跡が起こるとされ、ご利益にあやかろうと水を汲みくる人がたくさん訪れます。
平家物語の祇王の歌碑
ご神水の側には平家物語の祇王の歌碑があります。
祇王は、平清盛から寵愛をうけていたが、ある時、仏御前(ほとけごぜん)という人物が清盛邸を訪れます。清盛は仏御前をすっかり気に入り、清盛の寵愛は祇王から仏御前に移ります。そして祇王を追い出して仏御前を迎え入れ、その時に祇王が詠んだ歌です。
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
内容は「芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです」という意味。
祇王は出家し尼となり、嵯峨の祇王寺に移り住んだという、なんとも切ない話です・・・。
若一神社の由緒
宝亀3年(772)に、光仁天皇は紀州熊野に詣でたとき、人々のために若一王子を勧請することを決め当地に鎮座させました。その後異変が起きご神体が地中に埋もれてしまいます。
歳月が流れその地に、平清盛が西八条殿と呼ばれる別邸を造営します。その後清盛が仁安元年(1166)に熊野詣をした際に「土中に隠れているご神体を掘り出して祀りなさい」というお告げがあり、掘り出したご神体祀り社殿を建立しました。翌年清盛は太政大臣に任命され、以後開運出世の神社として崇敬されることとなります。
若一神社のご祭神
- ご祭神
- 若一王子(にゃくいちおうじ)
若一神社の基本情報
- 名称(よみがな)
- 若一神社(にゃくいちじんじゃ)
- 住所
- 〒600-8863 京都市下京区七条御所ノ内本町98
- 駐車場
- あり(4台)
- 参拝・拝観時間
- 【社務所・授与所】受付時間/自由
- 参拝・拝観料
- 無料
- 公式ホームページ
- http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/05/010/(京都府神社庁ホームページ)
若一神社のアクセス
- 車の場合
- 名神「京都南」ICから約20分
- 公共交通機関の場合
- JR「西大路駅」下車、徒歩約5分
市バス「西大路八条」下車、徒歩約1分
若一神社の地図
若一神社の口コミ
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